あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

音声・画像・動画という危うい証拠から、どう事実を認定するか

 ちきりんさんが、「音声・画像・動画という危うい証拠」という記事で、デジタルデータを安易に信用することの危険性に言及しています。記事の内容は、デジタルデータにおける改竄の容易さや、編集による印象操作の可能性を説くもので、全面的に同意です。たしかに、デジタルデータは、「ものすごく加工しやすく、印象操作しやすく、単純なアタマを持つ人を騙しやすい証拠」(引用)です。偽造・捏造され、または、一部が切り取られたデータにより、大衆が扇動される危険性は認識しておくべきです。

 しかし、セクハラやパワハラは、これらの行為が密室で行われることもあって、単に被害を申告しても、信用してもらえない可能性があります。そのため、被害を訴えるには、無断録音により、証拠を確保することが、もっとも効果的です。それなのに、「ハニートラップに嵌められた可能性がある」とか「加工されたものではないか」などと言われると、被害者としては、やりきれない思いをするでしょう。安易に被害者の申告を疑ってしまうことも避けたいです。

 

福田前次官のセクハラはあったか

 「おっぱい触っていい?」という音声データが公開された福田前次官のセクハラがあったか、どう判断すれば良いでしょうか。財務省は、セクハラがあったことを認めて謝罪しましたが、これは正しかったのでしょうか?

 ちきりんさんは、こう書いています。

 「胸触っていい?」のオジサンも、実際にそう言ったのでしょう。でもそれが、夜のキャバクラでだったのか、取材を受けている最中だったのかは私にはわかりません。一回の会食であのセクハラ発言を全部したのか、異なる場での発言がつなぎ合わされ、あたかもセクハラ発言を「連発しているかのように」編集されたのか、それもわかりません。

 たしかに、その通りです。しかし、音声を捏造された場合でも、夜のキャバラクでの発言でも、異なる場での発言が繋ぎ合わされたにしても、通常であれば、そのように弁解するはずです。また、女性の同意があったにも関わらず、あとからセクハラだと言われた場合も、「同意があった」と弁解するでしょう。

 また、福田前次官は「自分の声か分からない」とも言っています。たしかに、録音された声というのは、音声だけでは、自分のものだと分からないことがあります。しかし、音声で自分のものかどうか判断できなくても、発言の内容から、自分の発言かどうかは判断できるはずです。仮に、忘れているとしても、「発言した可能性があるが、覚えていない。」という弁解になるでしょう。(付け加えるなら、そのような弁解をする場合、「覚えていないということは、キャバクラなどの遊びの場で発言したものである可能性がる。」といった弁解も同時になされないと不自然でしょう。二人きりの取材の場で発言したなら、普通、覚えているはずだからです。)

 つまり、福田前次官は、合理的な弁解をせず、非合理的な弁解をしているということになります。財務省がセクハラを認定したのは、セクハラが事実でないなら、福田前次官は合理的な弁解をするはずだと考えたからでしょう。

 民事訴訟では、このように「○○という事実があるなら、通常、□□のはずだ」という経験則を使用して、事実を認定しています。ちきりんさんが『「胸触っていい?」のオジサンも、実際そう言ったのでしょう。』と認定できたのも、「発言そのものが存在していないのであれば、通常、本人がそう断言できるはずだ。」という前提があるからです。

 

 財務省は、「(福田氏は)テレビ朝日が明らかにした内容を覆すに足る反論や反証ができていない」と結論づけ、福田前次官のセクハラを認定しました。そのうえで、「これ以上の事実解明は難しい」として調査を打ち切っています(日経記事)。この調査は、財務省の委託を受けた弁護士が行ったようですが、結論の出し方は、法律家の思考といって良いでしょう。

 なにが真実だったかは、確かに録音音声だけでは分からない部分もあります。ねつ造や編集の可能性も、音声だけ聞いても分かりません。しかし、福田前次官の弁解内容を合わせると、「セクハラがあった」というところまでは認定可能でしょう。

 

 覚えておかなければならないのは、仮に、編集等によって、録音音声から受ける印象が、客観的真実とは異なっている可能性があったとしても(そこは財務省も「これ以上の事実解明は難しい」と言っており、断定していません。)、セクハラを認定することは可能であり、それは、社会的にも正当だということです。

 *ただし、これは、福田前次官の社会的立場を前提とした話です。彼は、セクハラの疑いをかけられた場合、弁解すべき立場であり、その機会は保障されており、その能力も担保されています(でなければ事務次官になれない)。それを前提として、初めて、「合理的な弁解がない以上、被害者側の主張が正しい」と言うことが許されるのです。世の中には、合理的に弁解しきれない人間もおり、それだけで汚名を着せて良いわけではないと思います。