あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

選択的夫婦別姓

 選択的夫婦別姓に反対はしませんが、積極的に賛成というわけでもないんですよね。私には、結婚とはこうあるべきだという意見がないから。

 もちろん、私自身の結婚観はありますよ。でも、日本社会における結婚とはどうあるべきかについては、深く考えたことがありません。

 別姓に賛成の人は「あなたの意見なんか関係ない。別姓を選択したい人たちに選択肢を与えるだけ。」と言われるのかもしれませんが、結婚というのは、あくまで社会的なものです。そうしたい人がいるのだから、その人たちの自由を認めてあげれば良いじゃないかという問題ではないと思います。

 もしも、結婚が完全に個人の自由領域に属するものなら、不倫を禁止するかを自由に決める選択的貞操義務、経済的に扶養する義務を負うか自由に決める選択的扶養義務も議論されて良さそうなものです。さらに、女性だけが貞操義務を負う片面的貞操義務、いつでも夫からのみ離婚を請求できる一方的離婚請求権、一夫多妻の合意、結婚期間の10年更新制等も、個人の自由ということになります。

 しかし、おそらく、選択的夫婦別姓を支持する人たちも、そのような完全カスタマイズ結婚を支持しないでしょう。 そんなことをすれば、女性にとって一方的に不利なカスタマイズ結婚が横行し、新たな女性差別問題になってしまうかもしれません。

 選択的夫婦別姓を主張する人たちも、要は「結婚したい人たち」であることに変わりはありません。結婚という社会的承認が欲しかったり、結婚という法制度の恩恵を受けたかったりする人たちです。名前を変えたくなければ、現在でも、事実婚は可能なのですから。

 だから、選択的夫婦別姓を主張するなら、個人の自由意思やアイデンティティを主張するだけではなく、現代における結婚とはこうあるべきだという議論をしなければならないと思います。結局のところ、結婚は社会的・文化的な風習を法制度に落とし込んだものですから、制度変更にも、その時々の社会意識による限界があると言わざるを得ません。