あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

うーん…やっぱり弁護士になるのは止めておいたほうが良いかも。。

 昨日、横浜国立大学法科大学院の募集停止ニュースを受けて、司法試験の今後の予想をしてみましたが、いろいろ考えた結果、やっぱり、いま弁護士を目指すのは止めておいたほうが良いような気がしてきました。。

 

 Twitterで「弁護士になんかならずに会社員か公務員になったほうが良い」とつぶやき続けている弁護士(えきなんローヤー先生)がいます。弁護士業界は恒常的な供給過剰が確定しており、斜陽産業で、責任ばかり重い割に儲からないから、もはや目指すべきではないということです。

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 これに対して、「いや、俺は上手くいっている」、「まだまだ工夫の余地がある」、「ネガキャンは良くない」という反応も見られます。しかし、既に弁護士になった人が前向きに頑張るのは良いとしても、これから職業を選択する人が選択肢に入れるべきかは別でしょう。

 弁護士という職業を目指す人の動機にはいくつかの類型があります。

①エリート:裁判官や検事、四大事務所等を目指し、そうなれる自信がある人達。

②リベンジ:就職活動やサラリーマンとしての生活に挫折し、資格に頼るしか生きる道がない人たち。

③事業家:事業を起こして金儲けをしたいと考えており、参入障壁の高い弁護士業界に目を付けた人たち。

④チャレンジャー:司法試験が難関のため、それに挑戦すること自体が目的の人たち。

⑤手に職:なんでも良いから手に職をつけたいという人で、法律の勉強に適性があると考え、司法試験を目指した人たち。

⑥その他:テレビや漫画で法律家に漠然とした憧れを持ったとか、なんとなく司法試験に合格すれば金持ちになれるのではないかとか、そういう動機の人たち。

 この類型の中で、弁護士を目指さないほうが良いのは、④~⑥の人たちです。④は、既に司法試験が難関とまでは言えなくなっていることが理由ですが、⑤と⑥は、要するに、凡庸だが他の道も選べる人が、職業選択として選ぶには、コストとリスクが高すぎるわりに将来が見通せないという意味です。

 これから弁護士を目指す人たちは、「自分は儲かっている」とか「ネガキャンは良くない」という弁護士たちが①~③の人なのか、④~⑥の人なのかを良く見極める必要があるでしょう。

 

 そして、私が弁護士を目指すべきではないと考える一番の理由は、制度が流動的過ぎて、将来どうなるか予測できないということです。まだ儲かるとか、工夫次第で開拓できるとかいうのは、それが真実だったとしても、所詮は「現時点」の話です。その儲かっている人たちも、将来、弁護士数が、さらに急増すれば、どうにもならなくなる可能性だってあります。

 現状、法科大学院は廃校続出で死屍累々です。司法試験合格者数は1500人程度まで減りました。平成30年度の法科大学院入学者は1600人程度しかおらず、来年は更に減るかもしれません。前回の記事で予想したように、普通に考えれば、司法試験合格者数も、1500人は維持できず、さらに減らすしかないはずです。司法修習生に対する給費制が(不十分ながら)復活したことから、予算的にも、増員政策の転換を迫られるでしょう。

 しかし、日経新聞などには、合格者を2000人規模に戻すべきという記事が出たりしており、増員が経済界の要望であることに間違いはありません。そして、法科大学院という制度を維持するためには、一定の合格者数は確保しなければならないのです。つまり、司法試験合格者増への圧力というのは無くなったわけではありません。

 となると、法曹養成制度が、現状の制度のまま固定される可能性は小さく、近い将来、制度全体にドラスティックな改革が実施される可能性もあるのではないでしょうか。

 制度発足から15年くらい経っているのに、いまだに法科大学院の廃校が続き、志願者は激減し、いったん廃止された給費制が不完全ながら復活し、当初目標の3000人は達成できず、それどころか2000人から1500人まで落ち込み、それにも関わらず、合格者を2000人に戻すべきだとか、もっと合格しやすくするべきだという声が上がるというカオス状態の法曹養成制度です。要は、制度として一向に落ち着かない状態が続いており、失敗だったという総括も行われず、次に目指すべき理念も示されず、惰性と弥縫策の状況ということです。

 となると、今後、どんな無茶苦茶な制度改変がなされるか分かったものではありません

 

 たとえ競争が激化している業界であっても、将来予測を立てることができるのであれば、挑戦するのは一つの選択です。どうせ、弁護士業界に限らず、日本は、景気の悪い業界であふれているのですから。しかし、弁護士は、所詮、資格職に過ぎません。その職業は、国家がデザインするのです。そのデザインもきちんと定まっていない現状では、凡庸な一般人は目指すべきではないのではないでしょうか。