あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

万引き家族「リーリー・フランキーの罪責を論ぜよ」

 カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した是枝監督の「万引き家族」を観てきました。映画自体のレビューも書きたいのですが、今回は、法律的にツッコミどころがないかを考えてみたいと思います。

 ネタバレありますので、まだ未見の人はご注意ください。

 

信代(安藤サクラ)の懲役5年は妥当か 

 安藤サクラ演じる信代が、懲役5年で収監されている描写がありました。

 あれ、いったい何の罪で収監されていたと思いますか?

 まず、おばあちゃん(樹木希林)の遺体を埋めた件。刑事に「死体遺棄は重い罪だ」と言われるシーンがありましたが、死体遺棄罪は3年以下の懲役です(刑法190条)。しかも、高齢で自然死した人を埋葬したもので、事故や犯罪で死亡した遺体を隠蔽しようとしたわけではありません。動機は「自分たちの素性がばれるから」「お金がないから」というもので、情状酌量の余地があるとは言えませんが、悪辣な動機というほどではないと思います。これは執行猶予相当でしょう。(参考:自己が出産した嬰児の死体を、トイレの便器内に入れたまま、同トイレドアの施錠をした上立ち去り、もって死体を遺棄した事案→懲役1年6月、執行猶予3年【量刑調査報告集Ⅴ】)

 次に、死んだおばあちゃんの年金をATMで勝手に引き出した件。あれは窃盗罪になり、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金です(刑法235条)。実は、今回成立する犯罪の中では、一番法定刑が重いのですが、窃盗というのは、被害の大きさがピンキリの犯罪で、大富豪の家から1億円を盗むのも窃盗だし、100円のお菓子を万引きするのも窃盗です。たしか、ATMから引き出したのは15万円程度でしたか。どれくらいの期間、年金を引き出していたのかは分かりませんが、おばあちゃんが死んでから、捕まるまでの間、それほど長期間は経っていなかったはずです。となると、やはり、執行猶予相当ではないでしょうか。(参考:不正に入手した他人名義のキャッシュカードを使用して現金を窃取しようと考え、共犯者らと共謀の上、12回にわたり、銀行の現金自動預払機から現金合計179万8000円を引き出して窃取した事案→懲役2年6月、執行猶予4年【量刑調査報告集Ⅴ】。)

 となると、信代が実刑になったのは、やはり子供2人を誘拐した未成年者誘拐罪(刑法224条)が最大の原因と考えるべきです。法定刑は、3月以上7年以下の懲役です。社会的な被害という点では、子供が行方不明になっていたわけですから、死んだおばあちゃんの年金を窃取したことよりも大きいというべきでしょう。身代金などの目的があったわけではないですし、身体に危害を加えたわけでもなく、食事も与えて仲良く暮らしていたわけですが、それでも子供を誘拐するというのは厳しく処罰すべき犯罪なので、実刑は妥当でしょう。

 しかし、懲役5年というのは、果たして妥当なのでしょうか。過去裁判例を検索しても、未成年者誘拐罪単独の量刑は見当たりません。通常、誘拐というのは、身代金やわいせつ目的であることが多いので、単純に未成年者を誘拐した罪というのは、あまり事例が多くないのだと思います。そこで、誘拐と強制わいせつの事案を参考にすることにします。

 ①被害者(8歳)が13歳未満であることを知りながら、わいせつの目的で誘拐した・「静かにしなきゃ、殺すぞ」というなどの暴行、脅迫を加え、自己の陰茎を口淫させるなどした(わいせつ目的誘拐・強制わいせつ)/②会社1階女子トイレに侵入した(建造物侵入)/③被害者(7歳)に対し、背後から抱きついてその口を手でふさぎ、暴行、脅迫を加え、わいせつの目的で略取しようとしたが、被害者の母親が運転する自動車が通りかかったため、その場から逃走した(わいせつ略取未遂)/④被害者(6歳)が13歳未満であることを知りながら「言うことをきかないと殺すぞ」などと言って脅迫し、自己の陰茎を口淫させた(強制わいせつ)。同種前科2、男性36歳、示談不成立。→①~④全部合わせて、懲役7年【量刑調査報告集Ⅴ87頁】

  これと比較すると、信代の懲役5年は、若干重すぎる気もします。「ゆり」(本名じゅり)が実親に虐待されていたことは、おそらく情状として公判に顕出されなかったのでしょうが、彼女は「ゆり」を暴行したわけでも、わいせつ行為をしたわけでもありません。また、身代金などの目的もありませんでした。「祥太」についても、万引きをさせていたという事情はありますが、もともと身元不明で、保護された後は施設に入っているくらいですから、保護していた側面もあるわけです。死体遺棄や窃盗との併合罪で起訴されたとしても、2年~3年に収まる可能性は十分あったのではないでしょうか。もっとも、未成年者の誘拐というのは悪質な犯罪ですし、彼女は、もしかすると反省の情を示さなかったのかもしれません。となると、5年というのもあり得ない話ではないと思います。

 結論としては、「不自然というほどではないが、ちょっと重すぎるような気がする」といったところでしょうか。

 

 治(リリー・フランキー)は無罪放免なのか

 さて、問題は、信代は治(リリー・フランキー)の罪をかぶって有罪になったという設定だったのですが、これはあり得るのかということです。面会の時、信代が「治には前科があるので5年では済まない」と言うシーンがありましたが、そもそも、あの映画の状況下で、治が無罪放免(または執行猶予だったのかもしれませんが)になることなどあるのでしょうか。

 まず、死体遺棄罪です。穴を掘って遺体を埋めるというのは、本格推理小説などでは、女の腕力では無理とされており、信代が全て一人でやったというのは許されない設定だと思いますし、現実の話であれば、警察は治の関与を疑うはずです。しかし、その件は置いておきましょう。問題は、信代が罪を被り、実際に埋めたのが信代ということになったとしても、おばあちゃんが死んだあと、きちんと埋葬しなかった治は罪に問われないのかということです。死体遺棄罪における「遺棄」とは、「社会通念上埋葬とは認められないような態様で放棄すること」で、死んだ者を放置した場合、「葬祭義務がない者であれば、遺棄にあたらない」が、「葬祭の義務を有する者が、葬祭の意思なく、死体を放置してその場から離れる場合は、遺棄にあたる」(条解刑法第3版)とされています。よく、ニュースで報道される「高齢の親が死んだが、どうして良いか分からないので放置した」事案では、同居の子供には葬祭の義務があるので、死体遺棄罪になるわけです。おばあちゃんと治には、親子関係はありませんでしたが、長期間同居しており、生活共同体を形成していたわけですから、法律上、葬祭の義務があると判断されてもおかしくありません。そうなると、仮に、埋めたのが信代だったとしても、治も死体遺棄の罪に問われるのではないでしょうか。

 次に、おばあちゃんの年金を引き出した件。引き出したのは信代ですが、事前に共謀して、金を分けていたでしょうから、共犯になると思われます。しかし、事前共謀の立証は難しく、不起訴でもおかしくありませんし、仮に起訴されても、執行猶予の可能性が充分あります。

 やはり、重要なのは、未成年者誘拐の件でしょう。「祥太」にしても「ゆり」にしても、連れてきたのが信代だとして、治は、事情を知りながら、子供たちと一緒に生活し続けていたのです。誘拐してきたのが信代であれば、治がそれを知っていて一緒に暮らしても、罪に問われないのでしょうか?参考となる裁判例を見てみましょう。

略取行為自体は終了していても、その後に引き続き、これと一体となる監禁行為が継続している場合に、その途中から、これらの事情を熟知しながら、犯行に加担した者については、加担以前の監禁のみならず、略取に対しても共同正犯としての責任を負うべきである。・・・(省略)・・・被略取者を事実上の支配下に置いた時点で同罪は犯罪としては既遂になるが、被略取者の自由に対する法益侵害は、被略取の違法状態が続く限り継続しているというべきである。・・・(省略)・・・そうすると、加担前の監禁行為についても共同正犯としての責任を問うことができるのであれば、同様の意味で、既遂となった略取罪についても共同正犯としての責任を問うことができると解すべきである。【東京高等裁判所平成14年3月13日】

 となると、治も、信代が誘拐してきた後、その事実を知りながら、信代と共謀して、「祥太」と「ゆり」を事実上の支配下に置いているのだから、未成年者誘拐罪の共同正犯が成立するといことになりそうです。そうでなくても、被誘拐者蔵匿罪(刑法227条:3月以上5年以下の懲役)が成立する可能性があります。少なくとも、まったくお咎めなしというわけにはいかないでしょう。治には、前科があるということなので、信代と一緒に実刑になってもおかしくなかったと思います。

 結論として、死体遺棄および未成年者誘拐について、「信代が罪を被ったことで、治が無罪放免になったかのような描写には、法的な観点から、違和感がある」ということになります。

 なお、映画のタイトルでもある「万引き」については、立件されなかったのでしょう。犯罪を起訴するには「誰が、いつ、どこで、なにを、どうした」という特定が必要ですが、あの映画におけるスーパーの万引きを後から特定するのは不可能です。いつ、なにを盗んだかなんて、本人も覚えていないでしょう。

 

 誤解のないように言っておきますが、個人的には、創作にリアリティーの面からツッコミを入れるのは野暮だと思っています。それどころか、アニメや漫画、映画といった物語を創作する上で、実際の法律や科学知識との不整合に目をつむって、ストーリーの都合を優先させながらも、視聴者を白けさせない「もっともらしさ」を保持させる職人芸は、極めて重要なものだと思います。

 しかし、世の中には、創作と現実は違うということを分かっていない人もおり、そういう人が誤った知識で自己主張をして、社会に迷惑をかける例もありますので、創作に対して、専門家がツッコミを入れてみるのも意義があるのではないかと思っています。