あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

中年の○○離れ

 もう若者と呼べる年ではなくなり、立派な中年になりました。

 弁護士としては「成功者」の部類に入るわけではありませんが、生活に不自由しない収入は得ています。

 しかし、収入を得て、若い時には買えなかったものが買えるようになっても、どうも食指が動かないことが多く、所有物の少ない生活を送っています。決して、欲しくないというわけではないのですが、最終的には買わないという選択をしてしまうのです。

 たまに欲しいと思うのに、結局買わない物としては、たとえば、車、腕時計、パソコン。よく若者の〇〇離れと言われるような商品たちですが、欲しくないというわけではないのです。なぜ、欲しいのに、結局、買わないのでしょうか。

 

 まず、車ですが、日常生活で使わないのが分かりきっています。週休2日だとしても、福岡市の中心部で活動するには、バスの方が効率的です。自家用車だと、駐車場を探さなければなりませんし、福岡という街は、大量のタクシーとバスが縦横無尽に走っていて、交通事故の危険もあります。

 たまに、遠出をするときや、自分で運転したくなることもありますが、ごくたまにしか使わないので、カーシェアリングで十分です。都市部に住んでいれば、タイムズのカーシェアスタンドがそこら中にありますし、全部が予約で埋まっているということは、まずありません。

 自家用車だと、維持費として、駐車場代、ガソリン代、任意保険料、自動車税、車検代がかかるうえ、洗車、清掃の手間もかかります。たとえ金があっても、週に1回も使うか分からないものに、支出したくはないのです。もし、持っていても、さして負担にならないのであれば所有したかもしれませんが、現状、維持費が高すぎます。

 

 次に、腕時計ですが、機械式時計で欲しいのがあるのですが、今使っている電波時計の方が便利そうなのです。時間に正確であることが求められる仕事なので、電波時計の方が合理的です(機械式でもそう狂ったりはしないでしょうが)。

 もっとも、時計に関しては、完全に趣味の世界なので、合理性で選ぶこと自体が不合理かもしれません。金持ちでも時計には興味ない人というのも珍しくありませんからね。

 しかし、近年、腕時計の宝飾品としての価値は下落しているように思います。皆が欲しがるから、ステータスとしての価値があるのであって、欲しがる人が減ってしまうとブランド価値は下落します。経済環境の悪化で、高級腕時計のような宝飾品は、庶民が無理して買うことが減ったと思われ、憧れの存在というほど、社会の中で存在感を発揮できているとは思えません。むしろ、ボッタクリの高級時計はバカの買うものという評価さえされてそうです。手の届かないものをつまらないものだと思い込む心理を「すっぱいぶどう」と言ったりしますが、ブランド価値というのは、みんなが「あのぶどうはすっぱい」と思ってしまうと、本当に下落するものだと思います。

 

 最近、新しいパソコン欲しいのですが、今のパソコンも動いています。タッチパネルのsurface proが欲しいのですが、単なる興味本位で、仕事で必要というわけではありません。そう考えているうちに、いつも結局買いません。そのうち欲しくなくなります。

 そもそも、パソコンの使い道といっても、ほとんど仕事で使うことが多いので、完全に実用目的です。そうなってくると、今のノートパソコンで十分なわけです。しかも、近年、パソコンの進化は完全にストップし、古いパソコンでも、特に問題ありません。ハードディスクの耐用年数は気になりますが、バックアップは取っているので、壊れるまで使っても良いような気がしています。

 若いころにあった最新のパソコンを使ってみたいという気持ちは、随分薄れてしまいました。

 

 こんな風に、なにか欲しいと思っても、いろいろと買わない理由を見つけて、結局買わないということを繰り返しているうちに、最終的には、欲しいという気持ち自体が薄れてしまいます。物欲が湧いても、「どうせそのうち欲しくなくなるだろう」と考え、しばらく放っておきます。すると、実際に欲しくなくなるのです。

 近年(というか、もう随分前からですが)、「若者の〇〇離れ」と言われていますが、若者だけではありません。若い時代に消費することを覚えなかった中年は、金があっても、物を買いません。物欲など、しょせん、一時的なものに過ぎないということを知ってしまったからです。いわば「学習性無欲感」とでも言いましょうか。

 消費を活性化するには、まず、若者に消費することを覚えさせる必要があるのではないでしょうか。若者を締め上げれば、それは、いずれ「中年の〇〇離れ」となって、国内需要の縮小を招くでしょう。