オウム松本死刑囚らの死刑執行について思うこと

オウム松本死刑囚らの死刑が執行されました。

地下鉄サリン事件は1995年ですから、事件から23年が経っています。

坂本弁護士一家殺害事件は1989年ですから、事件から29年です。

地下鉄サリン事件のご遺族である高橋シズヱさんは、「順次執行されていくのだろうなあと思っていたので、その時が来たという思いしかない。」「執行されて何の思いもありません。」と仰られています。事件から相当時間が経過しているので、ご遺族としても、強い感慨はないのかもしれません。

死刑が執行されるたびに非難めいた声明を出している弁護士会ですが、今回は、どういう声明を出すのでしょうか。いつも通り「死刑の情報が十分公開されないなかで、国民的議論を経ずに執行するのは遺憾」というような声明を出すのでしょうか。

私は、強制加入団体で、死刑に非難声明を出すのは止めてほしいという立場です。死刑の是非は、弁護士としての専門知識があるからといって、なにか特別に価値のあることを言えるものではないと思っています。同じ法改正を求める内容でも、民事訴訟法や執行法の技術的改善を求める意見とは性質が異なるからです。

ただ、弁護士としてではなく、一国民として言うなら、死刑の執行時期が政治的に決められていることには疑問を持っています

刑事訴訟法では、判決確定から6か月以内に法務大臣が死刑執行命令をしなければならないことになっています(刑訴法475条2項)。しかし、現実には、判決確定から6か月以内に執行されることはありません。かといって、確定順というわけでもなく、冤罪の可能性や、事件の社会的影響などを考慮して、政治的に決められていると言わざるを得ないでしょう。

今回の死刑執行についても、平成が終わろうとしているというタイミング、オウム事件の死刑囚というくくりで決められたことだと思います。また、与党関係者からは、重要法案が通過して国会が落ちついたタイミングだったという話も出ており、これは、客観的・非裁量的基準ではなく、行政府の恣意的基準による執行です。これは法治国家としてどうなのかという批判は正当だと思います。

また、Twitterでは、執行を事前にマスコミにリークし、リアルタイムで執行経過を報道させるような真似は、人権軽視も甚だしいという意見も出ています。たしかに、死刑の執行と言えば、これまで執行後の発表であったことから、今回の報道は異例と言えます。事前発表が必ずしも悪いとは思いませんが、事件ごとに事前発表するか事後発表するかを政府が決めるというのでは、死刑の執行という手続を厳格に運用しているとは言えないでしょう。

死刑に賛成するか反対するかという問題と、その執行の在り方を批判するのは別問題です。死刑には賛成の人でも、執行基準等には疑問を持っている人も多いはずです。死刑はやむを得ないとしても、いつ執行されるか分からないという状況下に長期間死刑囚を置いておくことは、それ自体、重大な人権侵害ではないでしょうか。

国家が人を殺す手続である以上、慎重にも慎重を重ねることの何が悪いのかと現状を擁護する人もいるようですが、法の名のもとに人を殺すからには、やはり客観的基準・非裁量的基準により執行の日が決められることこそ正義だと思っています。