なぜ怪しげな民間療法に縋るのか

私の母が癌におかされたとき、抗がん剤治療と同時に、様々な民間療法を試しました。

私は、当時、法律家を目指して勉強していただけあって、専門家が採用しない治療方法に疑問を持っていましたが、試してみたいという母や家族に反対することはありませんでした。

結局、民間療法で助かるわけもなく、1年半の闘病のすえ、母は帰らぬ人となりました。経済的に破綻するほどの支出をしたわけではありませんが、それなりの金額を支出したと思います。しかし、父も家族も、その支出を後悔したことはありません。

それは、当時、我々にとって、民間療法に縋ることが合理的な選択だったからです。

 

なぜ怪しげな民間療法を信じてしまうのか。

人間は信じたいものを信じる生き物なので、非合理的であっても、助かる可能性のある方を信用してしまうという側面はあるでしょう。適切な医療を受けていれば助かったはずの命が、民間療法に縋ったために失われてしまうのは由々しき事態だと思います。消費者保護の視点からいえば、藁にも縋りたい患者の弱みに付け込んで、効果のないものを高額に売りつける行為は、社会的に批難されるべきです。

ただし、私の母のケースもそうでしたが、死の病に侵された場合、民間療法を試してみるのは、適切な治療と同時並行で、経済的に破綻しない程度の支出であれば、合理的な選択なのです。なぜなら、適切な医療を受けても死は避けられず、あの世にお金は持っていけないからです。どうせ助からない可能性が高いのであれば、残された家族が生活に困らない範囲で、民間療法にもお金をだしてみようというのは当然の選択ではないでしょうか。

 

このような消費行動を防止するためには、消費者への啓蒙活動では足りません。

消費者にとって合理的選択である以上、法規制なしに防止することはできないのです。

消費者の自由な選択が、必ずしも、市場から悪質な商品やサービスを淘汰するとは限らない例といえるでしょう。