あくまで法律のはなし

なぜか福岡で働くことになった弁護士が、なぜか福岡で独立しなければならなくなったブログ

裁判員の判断を正面から批判できないマスコミ


www.sankei.com

オウム松本死刑囚らの死刑執行により、ネット界隈は死刑議論が喧しいですが、そんななか、千葉県松戸市の9歳女児殺害事件で無期懲役判決が出たことを受けて、産経新聞の社説が、裁判員守秘義務緩和を求める社説を載せています。

読んでもらえれば分かりますが、この社説は、死刑を求刑した検察に対し、無期懲役を言い渡した判決を直接批判していません。しかし、裁判員が評議で何を主張したのかを検証する材料が欲しいとして、守秘義務の緩和を求めています。

相次いだ高裁の破棄や最高裁の判断が1審裁判官に過剰な影響を与えていないか。6人の裁判員は何を主張したのか。そうした検証材料を提供してほしいのだ。

しかし、判決の妥当性を語るのに、評議内容を詳細に知る必要はありません。

訴訟記録も判決全文も公開記録ですから、その内容を確認して、死刑の回避が妥当か不当かを論評すれば良いのです。本件が控訴された場合、その量刑の妥当性は訴訟記録と判決を検証して判断され、評議の中身は高裁も知ることはできません。したがって、マスコミが判決の妥当性を論評する場合にも、評議の中身を知る必要はないはずです。

刑罰は国家権力の行使であり、その妥当性を論評することは、本来、マスコミの社会的役割のはずです。もちろん、判断を下したのは、裁判員でもあるのですから、それを批判することは、裁判員に対する批判も意味します。しかし、裁判員が関与しているからといって、判決が不当であるという論評を避けることなど、到底正当化できません。

守秘義務緩和を求めるマスコミの姿勢からは、判決は批判したいが、裁判員を批判するのは避けたいという意図が透けて見えます。評議内容が公開されれば、職業裁判官が裁判員に与えた影響のみを批判し、裁判員への批判と捉えられないような論評を掲載するのでしょう。

このようなマスコミの態度は是認されるものではなく、裁判員への批判と捉えられるのをいとわず、正々堂々と判決内容を批判すべきではないでしょうか。

 

守秘義務の緩和は、現実問題としても、多々問題があります。

社説は「裁判員裁判は施行から9年を経ておおむね順調に機能している」などと述べていますが、産経新聞裁判員の辞退者が過去最高の66%に達したという記事を載せたばかりです。

辞退者の属性にどのような傾向があるかは検証されていませんが、常識的に考えて、アトランダムに辞退者が発生するとは考えられず、辞退者の属性(職業、社会的地位、性別等)には一定の傾向があると考えるべきです。広く国民の常識を司法に反映させる趣旨からすれば、決して順調に機能しているとは言えません。

この状況下において、守秘義務を緩和し、評議内容が漏えいする事態になれば、裁判員は、自己の発言が他の裁判員によって語られる可能性を懸念しなければならず、自由な発言を妨げる可能性が高いでしょう。また、現在、評議においては、素人である裁判員の判断を助けるため、職業裁判官が、かなり丁寧な助言をしているものと考えられますが、マスコミが、その助言を誘導と批判するのは間違いないでしょう。その結果、裁判官は、誘導と捉えられないように、より慎重に発言するようになるでしょう。

その結果、裁判の長期化を招来し、さらに辞退者が増える原因になりかねません。

 

裁判員裁判は、辞退者の増加で、順調とは言えません。

そして、裁判員が参加することにより、マスコミが判決を正面から批判できなくなっているのも問題です。本来、一般市民が参加していようと、国家権力の行使であることに相違はないのですから、マスコミは判決の是非を正面から語るべきなのです。

しかし、一般市民への批判を避けたいがために、それができなくなっているのであれば、裁判員制度そのものに問題があると言わざるを得ないでしょう。

裁判員を慮って判決を批判できないようなら、職業裁判官を「勉強ばかりしてきて常識を知らない。」と言って批判している方が、たとえそれが偏見に満ちた物言いであったとしても、よほど健全だったと思います。